*[木村カエラ]「butterfly」にみる木村カエラの健全さ

 木村カエラの楽曲に「butterfly」というものがある。結婚情報誌か何かのCMに使われていたのでご存知の方も多いではないかと思う。私などは仕事中にラジオでこれを聞いて、思わず泣きそうになった。別に、現在四歳の娘が結婚するところを父親の立場から想像して泣きそうになったのではない。いい歌なのだ。すごくいい歌なのだ。結婚式に使われる歌の新しいスタンダードになりうるのではないかと密かに愚考している。(実際のところどうなのかはブライダル業界に詳しくないし、それに人様の結婚式などどうでもいいのだが) 
 なぜ「butterfly」が新しい結婚式ソングのスタンダードになりうるのか。それはこの歌の持つ健康的な健全さが、多くのひとに希求される可能性を多く含んでいるからである。花嫁を蝶に喩え、蝶が花=花婿を探すという物語には普遍性がある。その普遍性は、蝶は花にとまるものという自然界の法則に裏打ちされており、非常に強固である。また、蝶のイメージには、飛翔するもの、高い位置にあって祝福されるものとしての機能がある。さらに、「光の輪」という言葉にはイメージを広げ、実物の蝶ではなく、あくまで想像上の「白い羽」の蝶を想像させる。虫が嫌いであっても、想像上の、光に包まれた高貴な蝶というイメージを否定できないだろう。
 これまでの結婚式ソングでよく知られているのは安室奈美恵の「can you celebrate?」だろう。比較してみようとして、歌詞を改めて見てみて少し驚いた。暗い時代、愚かな時代からの脱却が語られ、その比較で祝福を昇華させようとしている。おそらくは安室の歌唱力によって比較的的であることは意識されないできたのではないだろうか。「butterfly」の祝福はイメージを広げていくことによって達成されている。安室は比較的的であり、カエラは直接的的であるといえるだろう。どちらが結婚式にふさわしいかというと、忌み言葉が嫌われる祝福の場にあって、直接的的であることは優位性を持つ。
 私がもっとも好きなフレーズは、「幸せだよと/微笑んでる/確かなその思いで/鐘が響くよ」のところだ。物理学的には、あるいはそこまで仰々しい単語を使わなくても、常識的に考えて「思い」によって直接的に「鐘が響く」わけではない。結婚式の鐘は常に人間の手によって鳴らされる。思いで鐘が響くというこの部分の飛躍が意味するのは、無私の祈りの一形態である。言い換えるなら、純粋無垢な祝福というべきだろうか。通常では手の届かないところに、手が届く。友人が言うには奇跡の定義のひとつに、死だけがあるところに命が生まれるというものがある。この飛躍は、祝福を純化したがための奇跡の表れなのだ。
 分析に気が取られて、タイトルのカエラの健全さについて話するのを忘れていた。カエラは「butterfly」において、喜びを喜びとして語っている。これを喜びの歌というカテゴリから比較してみよう。対応するのはyukiの「joy」である。なぜyukiを取り上げるのかというと、私が昔から好きで聞いており、その楽曲が表す世界観に詳しいからであって、また他に比較すべき適当な楽曲を知らないからである。「joy」の表しているのは、生きていくことの困難さを前提として喜びを作り上げていこうというものである。yukiは喜びを語るにも、まずは世界が困難であることから比較せずにはいられない。古い擦り切れた言葉でレッテルづけするのであれば、yukiは根暗なのである。
 突然だが、ここでダンセイニ作品との比較をしてみる。古典ファンタジーとJ-POPとを比べるなんて無理やりというか、意味があるのかわからないが、このブログはダンセイニを扱うと決めているので、とにかくやってみよう。
 ダンセイニの作品としては短編「椿姫の運命」をとりあげてみよう。椿姫の魂は、二つの目を持った花として地獄へ続く道の傍らに咲いていて、挿絵に描かれたそれはまるで蝶のように見える。あらすじはこうだ。非業の死を遂げた椿姫の魂を地獄行きから救おうと天使たちが命令に背き、主に剣でなぎ払われる。ダンセイニは本当に語りたいことは言葉にしない。最後は読者の想像力にゆだねる。そのかわりに読者の想像力を喚起するためのシンプルで力強い言葉をつむぎ出す。地獄への路傍で花となった椿姫の魂。それはとても美しいイメージであるが、その提示だけでは想像力のドアは開かない。椿姫を救った天使が主の剣になぎ払われるとき、その一瞬、その一行だけのセンテンスが槌となってドアを開く。
 「butterfly」は直球である。一行目「どんな時より/素晴らしい」と、三行目「どんな君より/美しい」で韻を踏んで、二行と四行で「赤い糸」「白い羽根」と紅白のめでたいイメージを作っていく。ダンセイニが最後の一行に向かって収束していくのであれば、木村カエラは空へと拡大していく。想像力の喚起性について二人の作品はまったく違った様相を見せている。そして二人とも素晴らしい。