ダンセイニ戯曲『名声と詩人』/翻訳:未谷おと

名声と詩人
FAME AND THE POET
ロード・ダンセイニ著
未谷おと訳

登場人物
ハーリィ=ド・リーヴス(DE REVES) 詩人(この名はフランスに起源を求められるが、ここでは英国風に変化しており、ド・リーヴス(DE REEVES)と発音する。
ディック・プラトル 英国騎馬水兵隊少佐。
名声(フェイム) 名声の女神。

情景
ロンドンの詩人の部屋。後ろに窓。舞台端に大きな衝立がある。
日付 : 二月三〇日。
〔詩人は机に向かって執筆している。ディック・プラトル入場〕

プラトル : やあ、ハーリィ。
ド・リーヴス : やあ、ディック。今度はいったいどこからですか?
プラトル : 〔何気なく〕この世の果てさ。


ド・リーヴス : おっと、それはひどい!
プラトル : 君がどんなだか、ちょっと寄ってみたんだ。
ド・リーヴス : うん、これはありがたい。ところでロンドンへは何しに?
プラトル : ああ、一本か二本かネクタイでいいものがあればとね、しかしねえ、箸にも棒にも掛からんものばっかりで、仕方なくロンドンの様子を見て回ってたところでね。
ド・リーヴス : いいですね! みんなはどうしているんですか?
プラトル : みんなはうまくやってるってさ。
ド・リーヴス : よかった。
プラトル : 〔原稿とインクを見ながら〕ところで、君は何を?
ド・リーヴス : 文筆業です。
プラトル : 文筆業だって? 君が物書きとは知らなかったな。
ド・リーヴス : そうです、いいものですよ。
プラトル : よりにもよって文筆業とはね。それでいったい何を書いているんだい?
ド・リーヴス : 詩です。
プラトル : 詩だって! なんてこった!
ド・リーヴス : そう、ご存知の通りですよ。
プラトル : ほんとに、それでどれだけ稼げると言うんだね。
ド・リーヴス : ぜんぜん。まったくだめです。
プラトル : やっぱりだ。君には向かないよ。
ド・リーヴス : わかりません。中にはぼくの詩をかなり好きだと言ってくれる人もいるみたいですし。やめられないんです。
プラトル : それで稼げないというなら、私だったらしないね。
ド・リーヴス : ああ、だけれどもあなたの詩では、どうしようもないでしょう。あなたが文筆業で稼げたとしても、詩を解するなんてありえませんね。
プラトル : まあ、待ちなよ。たとえ私がギャンブルで稼ぐのと同じくらい詩でいけるとしても、詩にかかわろうとしていないとは言っていない。ただ──。  
ド・リーヴス : ただ、なんです?
プラトル : どうかな。ただ、どういうわけかギャンブルには詩より才能がいるように思えるんだ。
ド・リーヴス : ほんとにそうかもしれません。たしかに地球の馬のことを描くほうが簡単ですよ、ペガサスが何をするのかを描くかより──。
プラトル : ペガサス?
ド・リーヴス : 詩に登場する翼の生えた馬のことです。
プラトル : まてよ! 君ってやつは翼の生えた馬のことを信じてるってわけか?
ド・リーヴス : この商売の連中はみんな神話のものを信じています。そういうものの全部がぼくらにある大きな真実を表します。競馬の勝ち馬があなたにとって現実であるように、ペガサスのような象徴は詩人にとって現実そのものなんです。
プラトル : フム。(煙草を一本くれないか。ありがとう)なに? それなら君はニンフやファウヌスや牧神やらのいい娘の全部を信じているわけか?
ド・リーヴス : そう、そうです。間違いなく信じています。
プラトル : なんてこった!
ド・リーヴス : あなたはロンドン市長の存在を信じているんでしょう?
プラトル : そうだ、当然だよ。しかしなにを……。
ド・リーヴス : 四百万かそこらの市民が彼を市長に仕立てたんでしょう? そして市長は富と尊厳と伝統を市民に表明し──。
プラトル : そうだよ。だがね、ちょっとな、それがどうしたって──。
ド・リーヴス : そう、彼の政策に共鳴した市民が彼を市長に仕立てた、だから彼は市長なんです。
プラトル : そうだ、当然だね。
ド・リーヴス : 同じように牧神は何百万人かによってそうなったんです。その何百万人かには、牧神が世界の古い伝説の代表なんですよ。。
プラトル : 〔彼は腰掛けから立ち上がり、後ろに向かって勢いよく歩く。詩人に目を向け一種の驚きを装いながら嘲笑する〕そうだ……ああ……君は古い異教徒なんだね……まったくなんだって……。
〔彼は後方の高い衝立にぶつかり、それを少し後ろに押す〕
ド・リーヴス : 気をつけて! 見ないでください!
プラトル : なんだ? なんだって?
ド・リーヴス : 衝立です!
プラトル : ああ、それはすまん。元にもどしておこう。
〔彼は衝立の後ろに回り込もうとする〕
ド・リーヴス : 止めてください。そこには行かないで。
プラトル : ふうん? なにがあるんだ?
ド・リーヴス : ああ、あなたにはわかってもらえそうもない。
プラトル : わかってもらえそうもない? どうして? 君は何をしてる?
ド・リーヴス : ああ、例のものの一つですよ……あなたにはわかってもらえそうもない。
プラトル : 大丈夫、私はわかるよ。さあ見せてくれよ。
〔詩人はプラトルと衝立のそばに歩み寄る。彼はそれ以上の抗議を控える。プラトルは衝立の向こうを見回す〕
  祭壇だね。
ド・リーヴス : 〔衝立全体を片づけて〕これがすべてです。どう思いますか?
ギリシア風の祭壇が明らかにされる。衝立に隠れていた床全体に紙屑が散らかっている〕
プラトル : やれやれ──いつものこのだらしなさといったら悪魔のようだ
ド・リーヴス : それでは、どう思いますか?
プラトル : イートンに居た頃の、君の部屋を思い出すよ。
ド・リーヴス : イートンのぼくの部屋?
プラトル : そう、君はいつも床全体を紙屑で一杯にしていた。
ド・リーヴス : ええ、そうです。
プラトル : この散らかっているものは何だね?
ド・リーヴス : すべて詩です。これは〈名声〉に捧げられたぼくの祭壇なんです。
プラトル : 〈名声〉に?
ド・リーヴス : ホメロスがよく知っているものですよ。同じものです。
プラトル : なんてこった!
ド・リーヴス : キーツは彼女に会えませんでした。シェリーはあまりにも若い死でした。〈名声〉は最良のときより遅れてきていましたが、昨今はそうでもないようです。
プラトル : しかしだ、我が友よ。本当にそんな奴がいるとは思ってはいないだろう?
ド・リーヴス : ぼくの歌はすべて彼女に捧げているんですよ。
プラトル : でも、君は〈名声〉に出会ったことがないだろう?
ド・リーヴス : ぼくら詩人は抽象的事物を擬人化します。それは詩人だけではなくて彫刻家にも画家にも言えます。世界の偉大なものはすべて、そういう抽象的事物なんです。
プラトル : しかし私が言いたいのは、そういう抽象的なものは本当はそこにないということだ。君や私の様には。
ド・リーヴス : ぼくらにとってはこうしたものが人間よりも現実的です。幾世代も超えて生き残り、王国の移り変わりさえもじっと見ていることができます。ぼくらは塵のように寄生しているに過ぎません。そういったものたちは動かず、笑わず、そこに止まっているんです。
プラトル : ちがう、ちがう、君は名声が見えるとは考えていない、期待してもいない。
ド・リーヴス : 来ないでしょう。会えないでしょう。彼女は黄金の管楽器を持って、ギリシアの衣装で着飾って、ぼくには会いにきてはくれないかもしれません……でもぼくら人間はみな夢を持っています。
プラトル : さて──それで、君は一日中なにをしていたんだね?           
ド・リーヴス : ぼく? ソネットを書いていたんです。
プラトル : 長いソネットかね?
ド・リーヴス : 長くはありません。
プラトル : どのくらいの長さだい?
ド・リーヴス : だいたい十四行ほどですね。
プラトル〔口調を強めて〕 : 君には伝えなければならないことがある。
ド・リーヴス : はい?
プラトル : 云わせてもらうがね、君は程度を考えないんだ。私はかつてそんな風に卒業試験のために勉強してサンドハーストを卒業した。そのおかげか私は混乱してしまって、なにもかも見えるようになった。
ド・リーヴス : なにもかも見えるようになった?
プラトル : そう、そのとおり。角ブタ、翼のある蛇、なにもかも、君の天馬でさえもそうだった。こういうものは私に精神安定剤を処方させた。君は休まなければいけない。
ド・リーヴス : まってください。あなたは何もわかってはいないんですよ。あなたにとってのノミ屋やホステスと同様に、抽象的事物が詩人にとっては、近くて現実的で目に見えると云っただけなんです。
プラトル : わかっているよ。少し頭を冷やしなよ。
ド・リーヴス : そうですね、おそらくは。ぼくはあなたと一緒に喜劇かなにかを見にいった方がいいんでしょう。ただ、今日はこれを書いてだるくなってきたんです。これはしんどい仕事ですから。今度の夜にでもどうです。
プラトル : 私が喜劇を見にいくとどうして君にわかるんだね?
ド・リーヴス : だって、あなたはどこに見に行くつもりなんです? ロード・チェンバレン座でやっている「ハムレット」ですか。あなたがそんなところに行くはずないでしょう。
プラトル : そんなものを好むと思うのかい?
ド・リーヴス : 思えません。
プラトル : そう、君のいった通り。「ベドラムの少女」を見にいくつもりなんだ。さよなら。おいとまするべきだね。今日はもう遅いしね。繰り返すけど、君はやっぱり休みを取らなければいけない。あのソネットにはもう一行も付け加えてはいけない。十四行で十分だよ。今夜は夕食を取るよりも、すぐに休息した方がいい。私だってかつてそうだったよ。さよなら。
ド・リーヴス : さよなら。
プラトル退出。ド・リーヴスは椅子にすわりなおす〕
幼馴染のディックか。何も変わっちゃいない。ああ、どれほどの時が経ったのだろう。
〔ペンとソネットを手に取り、少し手直しする〕
  よし、やっと終わった。これ以上はもう出来ない。
  〔彼は立ち上がり衝立へと移動する。衝立を祭壇の方へ引き戻す。祭壇に歩み寄る。ソネットをうやうやしく祭壇の下の他の詩の束の間に置こうとしている〕
  ちがう、こんなところに置くつもりじゃなかったんだ。これは祭壇に捧げるに値するものだ。
〔そのソネットを祭壇そのものに置く〕
 このソネットでぼくのところに〈名声〉がやってきてくれないとすれば、今までやってきたことや、この先やることだって、すべてむなしいんじゃないだろうか。
〔彼は衝立を元に戻し、テーブルの椅子の処に帰る。黄昏が近づく。彼はテーブルに肱をついて、手を頭に当てる。あるいは役者のやりたいようにさせる〕
 やれやれ。ディックに会うところを想像してしまった。それにしても、ディックは人生を楽しんでいた。そのことでは愚かではない。かれは何と云ったっけ? "詩人では儲からないよ。他にやりようがあるだろう" ぼくの一〇年の仕事で世に出せるものが何かあるだろうか? 詩の愛読家の称賛が欲しい、だがそんな人間がどこにいるんだ。日食を見るには燻しガラスが必要になる。なぜ〈名声〉はぼくにこないんだろう? ぼくは自分の時間をすべて差し出した。彼女が遠ざかるには十分な理由じゃないか。でもぼくは詩人なんだ、だからこそ彼女はぼくを軽蔑するんだ。誇り高く、傲慢で、大理石のように冷淡で、あの〈名声〉はぼくらに目もくれないんだ。そう、ディックは正しかった。幻影や、透明な何かを狩り、夢を追いかけるゲームの貧しいことといったら。夢だって? ぼくらだって夢でしかないというのに。
〔彼は椅子の背にもたれかかる〕

 ぼくらを造るものは
 夢のよう。その小さな命は
 眠りによって巡っていた。

〔彼はしばらく黙り込む。突然彼は顔を上げる〕
 イートンのぼくの部屋は、とディックは言っていたか。ちらかっていた、乱雑だったと。
 〔彼が顔を上げて、これらの言葉を発するにつれて、黄昏の光は白光に変わる。この戯曲の作者が筆を滑らせたかのような印象と、この劇全体が詩人の夢でしかないようであるとヒントを与えるためである。〕
 それはそうだ、たしかに散らかっている。〔衝立を見る〕たしかに……。ディックは正しかった。ちょっと片付けた方がいいのかもしれない。忌々しい紙くずをまとめてぜんぶ焼いてしまおう。
〔衝立にむかってせっかちに前進する〕
 つまらない詩を書くのに浅はかにも時間を無駄にした。こんなものは全部焼かなくては。〔衝立を押して後ろに動かす。〈名声〉はギリシアのドレスで着飾り長い黄金のトランペットを手に携え、大理石の女神のように祭壇の上で身じろぎもせず立っている〕
 ああ……とうとう!
〔その間、雷に打たれたように立ち尽くす。祭壇に近づく〕
 聖なる美しき貴婦人よ! おいでになられたんですね。
〔彼女に向かって手を掲げ、彼女を台座から下へと、舞台の中央に導く。これをする時、ひまを見て確実なやり方で、祭壇からソネットを取り戻す。それをいま、〈名声〉に捧げる〕

 これはぼくのソネットなんです。受け取ってはもらえないでしょうか?
〔名声はそれを手に取り、静寂のまま読み通す。詩人は歓喜のまま彼女をじっと見守っている〕
名声 : たいしたものだ。
ド・リーヴス : いったい……?
名声 : 詩人。
ド・リーヴス : ぼ、ぼくだなんて……ただ……わからない。
名声 : 汝は詩人なり。
ド・リーヴス : しかし……そんなことはありえません……ホメロスに会ったあの方なのでしょうか?
名声 : ホメロス? 知っている。一寸先さえ見えなかった盲目の年老いた蝙蝠。
ド・リーヴス : 神かけて!
  〔名声は窓に向かって華麗に歩く。窓をあけ、頭を外に出す〕
名声 : 〔火事になった家の上層階にいる貴婦人が助けを求めて叫ぶような声で〕
 さあ! さあ! 坊や! さあ! そうだ、人々よ! さあ!
〔集まる群衆の呟く声が聞こえる。〈名声〉はトランペットを吹き鳴らす〕
名声 : さあ、これが詩人!〔素早く振り向いて〕汝の名は?
ド・リーヴス : ド・リーヴス。
名声 : 名はド・リーヴス。
ド・リーヴス : ハーリィ=ド・リーヴス
名声 : 周囲からはハーリィと呼ばれている。
群衆 : 万歳! 万歳! 万歳!
名声 : おい、汝の好きな色は?
ド・リーヴス : あの……その……なんなんでしょう。
名声 : そう、汝が気に入る色は緑か青だ。
ド・リーヴス : あ、あ──青、です。
〔彼女はトランペットを窓の外に吹き鳴らす〕
  ああ──ちが──み、緑に。
名声 : 緑こそ好む色だ。
群衆 : 万歳! 万歳! 万歳!
名声 : さあ、教えなさい。やつらの望みは汝のなんたるかを知ること。
ド・リーヴス : ああ……ぼくのソネットを聞いてもらいたいんです……そう言って下されば……。
名声〔鵞ペンを取る〕 : ここの、これはなんだ?
ド・リーヴス : それはぼくのペンです。
名声〔トランペットを大きく一吹きした後で〕 : 彼は鵞ペンで描く。
〔群衆からの喝采
名声〔戸棚の前に行く〕いま、ここには何が?
ド・リーヴス : え……あ……ぼくの朝食の食器が。
名声〔汚れた平皿を発見して〕何を食べた?
ド・リーヴス〔悲しみに満ちて〕 : ああ、卵とベーコンです。
名声〔窓に向かって〕 : 詩人は卵とベーコンを朝食に食べた。
群衆 : やった、やった、やった、万歳!
   やった、やった、やった、万歳!
   やった、やった、やった、万歳!
名声 : いいぞ、これは何だ?
ド・リーヴス〔みじめになって〕 : ああ、ゴルフクラブです。
名声 : 男のなかの男! 精悍な男! 雄々しき男!
〔群衆からの騒々しく熱狂的な喝采。この時だけは女性の声だけで〕
ド・リーヴス : ああ、怖い。怖い。怖い。
〔名声はもう一度トランペットを響かせる。何か喋っている〕
ド・リーヴス〔厳粛に、辛そうに〕 : お待ちを、しばらくのお待ちを……。
名声 : なんだ、話せ。
ド・リーヴス : 一〇年の間、美しき貴婦人様、ぼくは崇拝してまいりました、すべてのぼくの歌を捧げてまいりました……やっとわかりました……ぼくには才能などなかったんです。
名声 : 汝はすぐれておる。
ド・リーヴス : ちがいます、ぼくには才能などなかったんです。無駄でした。どうしようもありませんでした。他の方々こそ御身にふさわしい。言わせてください! ぼくには御身を愛することなんてできません。他の方々は立派です。他の方々を見つけてください。しかし、ぼくではいけません、いけません、いけません。選ばれるなんてありえない。ああ、お許しください――ぼくは、駄目、なんです。
〔その間名声は煙草に火を点けていた。彼女は気持ち良さそうに真っ直ぐ椅子に座って、背にもたれていた。そして彼女は紙の束の間のテーブルに真っ直ぐ足を置いた〕
ああ、ぼくは御身に罪を犯すことが怖いのです。しかし──駄目なんです。
名声 : これでよいのだ、詩人よ。罪は無い。汝を置いてはいかない。
ド・リーヴス : でも、でも、でも──どうしたらいいんでしょう。
名声 : わたしはここに居ることにした、居ることにな。
〔彼女はトランペットから煙を吹いた。〕