未谷おとによるダンセイニ的掌編

ラヴクラフトやヘンリー・カットナーがダンセイニを真似て短編を残したことはよく知られていることと思います。ダンセイニはすべての読者を詩人にする、と述べたのはラヴクラフトでした。カットナーの妻ムーアは、誰もダンセイニのように書くことはできないが、彼の作品を読んだ作家であれば誰しもが真似たはずだ、と述べました。
というわけで、ダンセイニ研究暦15年にもなろうかという私こと未谷おともいわゆるダンセイニ的掌編というのを書いたことがあります。もうずいぶん昔の話で、10年以上は遡ろうかという次第で、私自身も忘れていたのですが、先日の上京の折に、とある翻訳家から、ダンセイニ的掌編を君は書いていないのか、と聞かれたのです。私は、恥ずかしながら昔書いたことがあると述べてしまったのです。いまから考えるとうまくごまかしておくべきところだったのかもしれませんが、それはそれとして。バレてしまっては仕方ないので、未谷おと的ダンセイニ的掌編なるものを再公開したいと思います。昔ながらのペガーナロスト読者は知っているかもしれませんが、読まずにスルーしておいてください。
一連の文章の中には、ほんとに意味のないものもたくさんあるので、今読んでもまだギリギリ鑑賞に堪えうるかもしれないものを寄せ集めました。
最後の挿話「さらば地平線」は、ずいぶん昔に奈良のラジオ放送でラジオドラマ化されたことがあります。公共の電波に一度は載ったわけだし、私の創作物においては一応ながら代表作なのかもしれません。元ネタがある挿話もあります。「人間の季節」はニーチェをもとにしています。「進め!」は新井素子の短編からイメージを借りています。あと、読めば判りますが旧約聖書にもいろいろ助けられました。
では、お暇な方だけどうぞ。
トカナキの始め
 私はトカナキである。トカナキ以外のなにものでもない。
 トカナキはトカナキである。
 私は語る。
「世界は生まれた時から憂いに満ちておる。それはシシュが憂いであるからだ。シシュとは憂いである。」
 私はトカナキである。

世界の黎明
 トカナキは一週間で世界を創った。
 一日目にトカナキは眠っていた。二日目にトカナキは眠っていた。三日目にトカナキは眠っていた。四日目にトカナキは眠っていた。五日目にトカナキは眠っていた。六日目にトカナキは眠っていた。七日目にトカナキは眠っていた。
 こうして世界は在ることになった。
 しかし、トカナキは今でも眠っている。

楽園
 トカナキは人間を創った。人間は最初から楽園に住み、退屈と倦怠の日々を過ごしていた。そこで人間はトカナキに懇願した。
 トカナキよ、トカナキよ。我らは退屈と倦怠を玩んでいる。これらを追放したまえ。そうすれば我らはもっとトカナキの名を讃えよう。毎日7度の祈りを捧げよう。毎年一人の贄を捧げよう。季節に一度は盛大な祭りを行おう。トカナキよ、トカナキよ。我らの願いをどうか聞き入れたまえ。
 トカナキはどこからともなく現れて、云った。
 人間よ、そなたらは今よりこの地を離れ、東に向かうがよい。そこには川があり、森があり、山がある。けものは飛び跳ね、風は心地よく、太陽は優しい。退屈も倦怠もそこでは眠りについている、起きる心配はない。そこへ向かえば、悲しみも喜びも倍以上にはなるだろう。無限の発展を約束しよう。
 トカナキはそう云ったときに笑っていた。
 しかし、それを聞いた人間は喜んだ。何もかもが倍になるのだ。無限に発展するのだ。これが喜ばずにはいられようか。さっそく東に進路をとり、次の季節を待つこともなく新たな楽園に辿り着いた。
 人間は今現在でも楽園から離れていない。

赤子
 トカナキの教えを知らぬ娘が身籠もった。
 それは不幸である。

睡眠の力
 夜に眠る人々には夢の断片が訪れる。牧人のデシナイには砂漠の悪夢が訪れた。
 デシナイは牧人である。羊と駱駝と馬を駆る。家族は居ない。羊と駱駝と馬とそれらを追う利口な犬が家族だ。会話の相手は空と砂漠と犬しかいない。
 そんなデシナイの一夜の眠りに砂漠の悪夢が訪れた。
 東の空から嵐がやって来た。吹き荒れ、吹きすさぶ。砂漠そのものを巻き上げた嵐はデシナイを襲い、またデシナイの夢を襲った。
 幾多のキャラバンは倒れ、唯一のオアシスは枯渇し、砂漠そのものが形を変えた。風波は山を削り、山を創り、砂の川を流した。
 そして陽光は遮るものもなく、砂漠に降り注ぐ、豪雨のように。
 砂漠に点在する村々は死に絶え、街は砂に埋没する。
 デシナイは怒号し、号泣し、胸をかきむしった。頭を殴った。指を噛み千切った。目をくり抜いた。最後には銃を持ち出して自分のこめかみに向けて発射しようとした。
 そのとき、目を覚ました。砂漠の夢は、嵐の悪夢は消え去り、太陽の前に怯える小さな朝露のように流れ去った。
 すると東の空から嵐が近づいていた。デシナイは銃を取り出して、自分のこめかみに向けて発射した。
 夢とはかくの如し。

林檎
 アッシリア預言者たちが集まって世界について議論をした。
 その議論は1年間休み無しに続いた。会場である闘技場には当然のごとく屋根はなく、直射日光を頭に受けた預言者たちは疲労と日射病と空腹で次々に倒れた。しかし世界中から現れた別の預言者たちがその代わりを果たした。彼らは空腹対策のために新鮮な林檎を食べながら議論に加わった。
 この議論をアッシリアの市民たちの多くは注意深く見守った。少数の市民は議論に加わって、話の観点を微妙な方向に偏向させた。つまるところ市民はこの世界的な議論をお祭り程度にしか考えていなかったのである。
 議論が進むにつれて倒れる者が増え、預言者の数が足りなくなってきた。そこで議論を始めてから5人目の預言者の長が近隣地域に使いを送った。どのような者でも預言者ならば議論に加わってよいとするものだった。
 まず羊飼いが預言者と名乗って議論に加わり、大声で自分の意見を述べたが誰もそれを聞いていなかった。羊を食べるのに忙しかったのだ。
 次に商隊が議論に加わった。もちろん誰も商隊の意見を聞かなかった。商品の略奪に忙しかったのである。
 ここで預言者の長は議論を途切れさせないために、財産を持っている者の参加を打ち切った。この重要な議論はこれからの世界の歴史を創るのだ。誰にも邪魔はさせない。
 半年も過ぎるころには最初に集まった預言者の殆どは死に絶え、長と数人を数えるのみになった。疲労に耐えかね、空腹に喘ぎ、日射病に屈伏し、論戦に負け、またあるものは寿命をまっとうして闘技場から去ることになった。そしてその頃には新しい参加者は見込めなくなっていた。この議論を不毛だとみなす空気が小アジア一帯に流れた。
 会議が終わりを告げるのはもうすぐだった。些細なものまでが決定され、この世は次第に輪郭を表しつつある。
 だがどうしたことか、そのとき13人目の預言者の長は突然に倒れる。あれ程夢見ていたこの世を決定するという大事業にエーテルが耐えきれなくなり、逃亡を図ったと説明されたが、他の生き残っている預言者たちはそれを信用しなかった。長はもう1週間も何も口にしていなかったからだ。
 次の長を決めようとすると、預言者たちは尻込みして誰も立候補しようとはしなかった。そこに日干し煉瓦焼きの娘が立ち上がり、林檎を頬張りながら、我こそは預言者の長だと言い放った。そして議論を終結させるべく次のように叫んだ。
 世界は林檎である。太陽である。女である。祝福である。人間である。森である。川である。煉瓦である。島である。体である。空であり、そのほかのもろもろである。
 するとその言葉は議論の結論を待っていたトカナキの元に届いた。そして面倒に思ったトカナキは世界をとりあえず林檎であることにした。
 それ以来、世界は変わっていない。

人間の季節
 そのころ、この世の涯にある名もなき森には、魔物であり賢人であるマソがいた。人間たちは教えを求めてマソのもとに集まった。
 人間たちは英雄であった。竜を倒し、魔物を滅ぼし、悪魔を撃退し、盗賊の手から姫君を救い出した。しかもそれだけではない、主の御使いである天使を魔神の久遠の火炎から守りもした。
 人間たちは英雄のするべき行動をすべて終えると、民衆の要望により王国を束ねる王になり、生涯を閉じる。吟遊詩人は唄う。しかし人間たちは最善を求めた。そしてマソのもとに集まり、問うた。
 最善とは何か、人間にとって最もすぐれた行いとは何か。
 マソは答えた。
 落葉の子らよ、黄昏の子らよ、惨めな百万年の種族よ。そなたらは今聞かなければよかたことを聞いた。すなわち最もすぐれた行いとは、何も発しないことだった。しかし我は答えねばならん。そなたらのすぐれた行いとは、とうていかなわぬことだが、この世に生まれないことであり、次善の策は今すぐ死に至ることだ。
 すると人間たちは驚き、激しく狼狽した。そしてその次には足元から砂のように崩れさった。
 後には何も残らなかった。

進め!
 マラトンに戦勝を知らせた勇敢な伝令の葬儀があった。
 残った妻と娘と娘は涙を流して悲しみ、マラトンの民衆は悲哀を叫び、考える物乞いは憂いを弟子に語った。大通りを通る柩は8人の男に支えられ、太陽の前だというのに脅えもせず、震えもせず、堂々としている。いつもは激しく吹きつける西風も今日という今日は鳴りを潜め、山裾の洞窟に潜んでいる。
 街の権力者が演説して葬儀を締めくくる。民衆はますます悲しみ、葡萄酒という葡萄酒の樽は空にされる。
 だが、月の満ち欠けの周期の終わりには民衆はすべてを忘れて日常に戻る。再び街角に活気の蘇るを見、考える物乞いの演説を聞くことになる。
 だが、勇敢な伝令の家族は悲しみを忘れていない。一年に渡って泣き暮らし、最後に一家の長のために呪いを放った。
 進め、進め! 走れ、走れ。飛べ、飛べ。進め、進め! 走れ、走れ……。
 呪いはモンゴルの伝令のように一日に400キロメートルで世界を巡った。生活に疲れていた南風もそれに手を貸した。鶏たちは呪いを見つけるとそれを食べてしまい、その卵を食べた人間は会う人ごとに呪いを手渡した。やがて呪いは時間を越えた。分裂しても力の弱ることもなかった。いや益々力を増して突き進んだ。葬儀の前後、百万回の永劫を通り抜け、あらゆる時代の地球に降り立った。
 そして叫んだ。
 進め、進め! 走れ、走れ。飛べ、飛べ。進め、進め! 走れ、走れ……。
 呪いは確実に効果があった。
 アミノ酸が構築され、オウム貝は飛び、魚は陸上を這った。胞子は種子へと分岐し、海風に乗って内陸に侵入した。
 人間は走った。馬に乗った。列車を創った。自動車を創った。飛行機を創った。アポロを創った。人間は土星の、海王星の、冥王星の、アルファ・ケンタウリの、デネヴの向こうにまで進んだ。
 進め、進め! 走れ、走れ。飛べ、飛べ。進め、進め! 走れ、走れ……。
 勇敢な伝令の家族の呪いは確実に効果があった。

イベリアの王と悪
 悪はこの世を闊歩している。また善もこの世を闊歩している。だが、むかし悪はいなかったし、善は眠っていた。
 ティル・ナ・ヌォーグから半日の処にあるイベリアの王は出立した。イベリアの王は自分が卑小であると判っていた。だから出立した。
 イベリアの王は伝説を探している。自分が詩に唄われ、永劫に名を残すためには伝説が必要だ。だが、現在に王の名は聞こえない。王ではなく、王の行動が伝説になった。
 やがて王とその一行は要塞に辿り着いた。伝説のある要塞だ。5000年前からの言い伝えではここに伝説が隠されており、強大な魔物に守られていることになっている。
 王は幾多の部下を無くしたが、伝説を連れて帰ることに成功した。帰り道には一番の大通りを行進した。そのとき、鋳掛け屋の見習いが突然叫んだ。
 「あれは悪だ!」
 するとその言葉は分解しながら世界を一巡した。
 こうしてこの世には悪があることになった。

怒り
 トカナキは地球と宇宙を往復している。
 あるときトカナキはハワイ諸島の子供の乞食を見つけた。子供の乞食はこれから生涯にわたって孤独な旅をする。しかしいまはまだ犬と二人で旅をしていて、孤独ではない。
 二人に名前はない。
 ある日、オアフで子供の乞食は不幸にあった。椰子を取ろうとして登った木から落ち、腰を強く打った。骨盤は砕けた。犬は啼くばかりで何もできない。
 苦痛の中で子供の乞食は泣いた。自らに降りかかった不幸にではなく、自らの脳に神経を伝ってやって来る電気信号にでもなく、あろうことかトカナキを哀れんだのである。群衆に無視され、哀れな嫌な匂いのするチューイングガムでもそんなことはしない。
 その場にいた子供と犬以外のあらゆるものはトカナキの怒りを恐れた。偶然に居合わせた北風は振り返って、故郷へと帰った。それ以来ハワイに北風はやって来ない。
 椰子の木は恐れの余り自殺した。椰子の実が自然に落ちるのは、この自殺が原因だといわれている。子供に打撃を与えた大地とその妻である重力は子供を拒否した。子供は空を飛べるようになった。しかし空も子供を拒否した。子供は海に投げ込まれた。しかし海も子供を拒否した。
 不幸な子供は地球に居場所を失って、宇宙に投げ出された。
 トカナキは地球と宇宙を往復している。子供を見つけたトカナキは哀れに思って、一番地球の良く見える所に据えつけた。
 今では子供の乞食は月と呼ばれている。犬が月に向かって吠えるのは子供を懐かしがってのことに違いない。

パンドラの匣
 ウィリアム・ブレイクはその死後、煉獄と天国と地獄の間を彷徨う内にパンドラの匣を見つけた。ブレイクは余りにも幻視を観過ぎたために盲となり、パンドラの匣と判らなかった。だから、そこに幻視があるとは思わず通りすぎた。
 次にやってきたのはイェイツだった。その次はラスプーチンであり、クハランであり、アベベであり、ネルスンであり、一麿であり、テーベの河岸に住む獺であり、シェイクスピアであり、天照であり、ラメセスであり、ポーであり、イエスであり、ゲバラであり、ヴィシュヌであり、マサラサであり、ニトネであり、トラルノであった。
 最後にやってきたのは乞食だった。
 乞食は盲でもなく、聾唖でもなく、また幻視を観ることもなかった。
 乞食はパンドラの匣を開けた。
するとあらゆる悪徳──戦争、疫病、腐敗、堕落、放蕩、無関心、非幸福、深淵、穢らが表れ、いきおいよく世界に飛び出した。
 トカナキは云う。
「ぬしらは何者か?」
するとあらゆる悪徳──戦争、疫病、腐敗、堕落、放蕩、無関心、非幸福、深淵、穢らは失速し、息も絶え絶えになって、地面に落ちた。
 トカナキは匣から最後に飛び出したものにも云った。
「ぬしは何者か?」
 すると最後のものも失速し、地面に落ちた。
 未だ、これらを拾い上げたものはいない。

ガ・ナハミナ
 昔、まだバビロンがバビロンで無かった頃、また北京がまだ北京で無かった頃、静かの海が静かの海で無かった頃、火星にはナハミナがいた。ナハミナは女であるためにガ・ナハミナと呼ばれる。
 ガ・ナハミナは内気な普通の女である。頼みごとを断れなかった。挨拶は見知った人間にしか出来なかった。ナイルから引いた運河の断崖に座り込んで、一日中考え事をしていた。それはトカナキの御心に叶ってはいるがしかし、最後の世紀に彼女が見いだしたのはナクザカの鏡である。
 ナクザカの鏡が反射するのは真実である。ナクザカは意思を持たない。これは不幸である。何故ならトカナキの嫌悪するところだからである。
 ある時、海辺の洞窟で鏡を見つけた。ナハミナはそれを覗き込んでみたが何も移らなかった。不思議に思い、街に持ち帰り、皆に見せた。
 季節ごとにやって来る行商人は鏡を見るなり、青い顔になり、その場から走り去った。それ以来、行商人の姿を見たものはいない。
 狩人は暗い森からの帰路を過ぎると鏡を覗き込んだ。街人の噂を聞いてすぐに駆けつけてきたのだ。そして、狩人は森に再び帰り、二度と街人の前には現れなかった。街には今でも狩人は一人も存在していないので、毛皮の値段は跳ね上がるばかりである。
 その次に司教が現れ、最小限の賢明さを示して鏡に布を掛けさせた。しかし最も愚かなことにナクザカをそのままにしておいた。トカナキはそれを夢見て、嘲笑しようとしたが、思いとどまった。残念なことに滅ぶべき人間は選択されていなかったのだ。
 夕暮れ前にローマより派遣された審問官は鏡の廃棄を命じた。そして厄災の元凶であるナクザカの鏡を持ち帰ったナハミナを捕らえ、余りにも迅速に裁判を行った。それは赤い黄昏に一度の鐘の音を聞き、紫の黄昏に三度の鐘の音を聞いた。物見の聴衆が集まるよりも早かった。
 審問官は厳かに宣言した。ナハミナは死刑である。何故なら、街を混乱に陥れ、秩序を破壊しようとしたのだ。死刑は当然であり、妥当な刑罰だと決定せざるを得ない。
 ナハミナはその場で捕らえられ、首を刎ねられた。
 斬られた首はそのまま消滅した。手毬が四次元に消え去ったように突然無くなって、二度と火星の人々の前に現れなかった。

猿の警告
 むかし、レニングラードに動物園の猿の世話をしているボジョリフスキーがいた。とても勤勉で、脳の神経網は発達していなかったが、洞察力にすぐれていた。
 ある満月の真夜中に猿たちが騒ぎ出した。猿たちは東の方を向いて、一斉に騒ぎ出したのだ。怯えて、怒り、最後には西側に集まって縮こまっていた。騒ぎはあくる朝まで続いた。虚無の空の下、日光の刺すまで、騒ぎは続いた。

丘の向こうへ
 1969年のベトナムで死亡した兵士たちの叫びをつなぐとトカナキへの讃歌になることはよく知られているが、それは幸福である。なぜならトカナキ以上に死の意味を知るものはいないからだ。

地球
 私は地球。
 虹の衣をまとう小さな質量。
 太陽のぐるりを巡るまあるい月さ。
 ここには何だってある。
 重力も、水素も、鉄も、
 私が作ったんじゃないがアルミニウムだってある。
 炭素の構成体だっている。
 お願いだ、
 ここへきてダンスを踊ろう。
 私は地球。
 寂しがりやの子供さ。
 一緒にダンスを踊ろう。

岩を喰らう獣の話
 西方の涯に岩を喰らう獣がいるという。
 一日中、時として一年も休みなしに岩を喰らうて過ごしている。寝るということもない。ただ喰らい続ける。時折、あくびなどを催して周囲の驚きを誘うこともあるが、それも百年に一度あるかどうか。
 何時生まれたのか、はたまた何処で生まれたのか、誰も知らぬ。獣を遠くから見たことのある羊飼いは、あれは山の子であり、深い山脈の奥底で生まれたのだという。預言者は神々と同じ時に生まれたといい、そして近づいてはならんと警告する。奴は岩だけでなく、人も喰らうのだ、特に夕刻は危険である、と。別の預言者は云う、獣は忌み子であると。親が憎うて岩を喰らうておるのだと。
 獣の噂は広がり、ついに国王の聞き及ぶことになった。
 王は云う。
「噂の獣を連れてまいれ。岩を喰らうという獣を。千万の噂の半分はいまやそれで外堀を埋められてしまった。玉も、剣も、獣の前には輝きを失うほどだ。かつてはあれほどあった貴族の陰謀の話さえもう聞くことはない。暗殺者の跋扈しておった回廊にいまは誰もいない。民は口を開けば獣の話、出入りの商人もそうじゃ。獣により山脈がひとつ無くなったという。はたしてどれだけ食べられるのか? 山一つは百年掛かるのか? それとも千年かかるのか? 中国の古い神獣は地に届くほど長い毛をしていたという。毛は長いのか? それもどれほどの長さだ?」
 王は命令する。
「獣を連れてまいれ。半年の期限を与えようではないか。半年の内に出来ないようなら、汝らの家族はもういないものと思え」
 この王は激しい気性で知られていたので、部下の貴族たちはあわてて西の涯に向かい、そして僅か一月で獣を捕らえて連れて帰ってきた。いや、実のところ獣は自分から檻に入ったのだ。
 獣を前にした王は喜んだ。
「これは珍しいものじゃ、伝説の緑珠にも負けんだろう。竜を討ち滅ぼした聖なる大剣もこれの前では輝きを失うだろう。隣国の王にも自慢できようて」
 そう云って、手を叩いて喜んだ。
 そのとき、獣は突然口を開いた。人間の言葉で話し始めたのだ。
「王よ、好奇心に逸る人間の王よ。汝が我を捕らえに来るのは一万年前よりの必然であった。すなわち我が汝に復讐するのも必然なのだ。手間を惜しむためにこれと知って捕らわれたのだ。ぬしは我を見せ物にするであろう。すべての貴族をひとりひとり呼び寄せ、我を自慢するであろう。次に、近隣の王たちに我の身姿を見せるであろう。それから、すべてに飽いたぬしは、我を地下牢に封じ込めるであろう。最後、我は空腹の中で死神の微笑みを目に宿すであろう。だが、ぬしにそれは叶わぬ」
「なぜ我が岩を喰うていたか? この復讐のためだ。始め、岩は硬質で砕けすらしなかった、しかし、百年ごとに憎しみはつのり、ついに千年の後に喰らうことができた。すべてが砂になるまで歯で砕き続けた。人間の重さほどの岩に百年かかることもあった。金剛石のような岩もあった。そのうちに味も判るようになった。甘いものがあった、辛いものがあった、だが最も多かったのは苦いものだ」
「そして喰うていたものは何だと思う? 復讐のためだ、何でもない物質なぞ喰うはずがない。宇宙広しと云えどもこれほど恐ろしいものもあるまい」
「王よ、好奇心に逸る人間の王よ。我の喰うておったのは、この国の未来よ」
 その台詞が口から発せられると同じに、なにもかもが王の前から消え去った。
 偉大を誇った城も、忠実な部下も、王の所有物だった100万都市も、そして瓦礫さえも残らなかった。

ボーホー
 ボーホーはあった。
 ボーホーは立ちすくんでいた。
 ボーホーは泣いていた。
 ボーホーは行われた。大地にエーテルの流れ、魂は累々とした山を築いた。煉獄には繋がれた囚人たちが長い長い行列を作り、絵になる光景を見せびらかしていた。細い悲鳴は幾度も飛ぼうとしたが、短い翼を折られて落下するほかには何もできなかった。妖精はボーホーから逃げようと、ボーホーを始めた。
 これは死神の仕事ではない。ボーホーの仕事だ。死神はただ殺すだけだが、ボーホーは殺すだけではない、呪いを発しながら殺害し続けるのだ。剣もいらない、弓もいらない。手は振動で殺す、口は叫びで殺す、足は進んで殺す、魂は存在で殺す。動きのすべてが呪いであり、殺害の衝動で出来ている。
 殺された子供が叫ぶ、しかしその声は届くことはない。耳はその昔にどこかに忘れてきた。兵士が叫ぶ、しかしその声は届くことはない。人の叫びを知らないからだ。
 マントル対流の下にボーホーは潜んでいる。普段はゆっくりと流れながら眠っている。しかしいったんエーテルに捕らわれると、その刺激で目覚めて、進み出す。進むだけでよい。進むだけで殺す。

 昔、今では絶滅してしまった種族の最後の一人がトカナキに会い、こう話した。
「我はもうすぐ死ぬであろう、しかし我が種は滅びたくない。南国の疫病か、剣によってか、老衰がきてかは知らぬが、我は死ぬ。トカナキよ、我を不死身にしてはくれぬか。不死身になれば、我が種は不滅じゃ、誰の記憶からも消えぬ。代償に我の永遠一回りをぬしにくれてやろう。世界の生涯の時間をくれてやろう。不死身にはそれだけの価値がある」
 トカナキは答えた。
「いや、それだけでは足りぬ。不遜にもトカナキへの頼み事の代償を払っておらぬ。記憶は神聖なものだ。永遠一巡りでは足りぬ、本物の永劫を巡るがよい。そして不死の呪いを受けよ。そなたのしでかしたことは決して忘却されぬ。」

 ボーホーは力の衰えたことがない。恒に新しい活力を得て、次の獲物を探す。東へ、西へ、南へ、北へ、地球の隅々を巡る。どんなに寂しい地域でも、生物の死に絶えた地域でも、獲物はいる。いや、いるのではない、呼び寄せるのだ。思った土地に来ると、大きな角笛を吹く。すると、それに群がる生物がいる、死者が、英雄が、神々がいる。誰もが角笛の魔力に引き寄せられる。抵抗はできない。この角笛は魂の根源の流離う海原に鳴り響く。トカナキでさえも時には引き寄せられ、ボーホーに殺される。

 トカナキはさらに答えた。
「そなたは忘れられることはない、それは代償だ。
「呪いはそなたそのものだ、それは代償だ。
「人の涙にそなたは宿る、それは永劫だ。
「愚かにもトカナキへ頼み事をしたのはそなただ。
「代償は払った。さあ、永劫を生きよ!」
 今ではもう絶滅してしまった種族の最後の一人はこうして永劫を生きることになった。そして孤独のまま最初の永劫の一巡りが過ぎた。その間は誰とも話さなかったし、顔を見ることもなかった。幾つかの種族が滅んでいった。それを見て羨ましく感じた。
 そして次の永劫の一巡りが過ぎた。未だ孤独の中で、一人で、誰とも話さなかった。すでに口は岩のように閉じられて開くことすら出来なかった。眠りにつき、地中に沈んでいった。100万年のうちには発狂するかと思われたが、呪いはそれを押しとどめた。
 次の永劫が始まるまでに今ではもう絶滅してしまった種族の最後の一人はトカナキを呼び寄せ、こう頼んだ。
「トカナキよ、トカナキよ、トカナキよ。我はトカナキの慈悲を所望する。我を滅ぼせ、我の種族を滅ぼせ。すでに永劫は二度も過ぎたではないか。二度に渡る永劫の孤独だ。代償は支払い終わっている。我を滅ぼせ、我の種族を滅ぼせ」
 トカナキは答えた。
「いや、代償は払い終わらぬ。ぬしは代償そのものであり、電子の一遍もが消え去ったときに代償は消える。だが苦しみの余り慈悲を求めるなら、代償を変えてやろう」
 トカナキは少し考え、不気味な笑みを浮かべながらこう云った。
「そなたはたった今よりボーホーと名乗るがよい。そして地上を歩け。そなたはもう孤独ではない。さあ、歩け! 地上を歩け!」
 そしてボーホーは地上を歩いた。

 街角で一人泣いている。それはボーホーに肉親を殺された人間かもしれないし、もしかするとボーホーその人かも知れない。どちらにせよそれは間違いなく寂しげな瞳をしている。だがそれがボーホーであるなら、近寄ってはいけない。

さらば地平線 
街角に男が立っていて、道行くものに別れの挨拶をしていた。
「さようなら、さようなら、さようなら」
 しかし男のことを知るものはいなかったので、返事は誰も返さない。皆はいぶかしげな顔をして通り過ぎ、また挨拶に気づかないものもいる。恋人たちは秘密を語り合いながら通り過ぎ、職人たちは明日のクリケットの試合についての議論で頭がいっぱいになっている。女たちは今日の食事について汎宇宙的に悩み、買い物かごに何を入れるべきかを思案中だった。
 ボール遊びをしていた子供がそれを不思議に思って尋ねた。
「どうして『さよなら』っていうの? どうしてみんなは挨拶を返さないの?」
「もうお別れしないといけないからさ。私は二度と彼らに会えないようになってしまうんだ、もうすぐにね。別れは悲しいもの、だからせめてもの慰みに挨拶をしていたんだ。そうそう、君にも『さようなら』だ」
 子供にはその意味は判らなかったけれど、しつけられた通りに挨拶を返すと、夕食のために家に帰っていった。男に何度も手を振りながら、帰っていった。何度も振り返った。
 男はそれから別の街角に立って、人通りが途切れるまで挨拶し続けた。通りかかるものすべてに告げ、全員に頭を下げる。
「さようなら、さようなら、さようなら」
 気が付くともう真夜中になり、乳白色の月と宝石色の星が天蓋を覆っている。仰ぐ。溜息でもつきそうな顔をして、今にも倒れそうな足取りで別の場所に向かおうとして、気づいた。すぐそこにさきほどの子供がいる。好奇心が押さえきれなかったのであろうか。
「まだお別れを云うの?」
「そうだ、今晩はずっと別れを告げ続けなければならない。もう会えないからね。私はひどく寂しがりやで、こうして挨拶でもしないと気が済まないんだ。いままでここに在ることに有り難う、とね。誰にでもも別れはやってくる、しかし今回は急すぎる話だ。恐らくトカナキのいたずらなんだろうが、私はそれに従わなければならない運命があり、それが約束なんだ。愚かなことさ」

 そして街にあるすべての存在と実在に別れを告げに行く。街灯に別れを告げた。肉屋の建物と看板に、豪勢な噴水に、通りいっぱいに並ぶ街路樹に、野良猫たちに、広場に。辻馬車が通りかかり、娼婦が男に気のなさそうな声を掛けたが、別れの挨拶を告げるとそっと別の客を求めて去っていった。
 谷間の幽霊もわざわざ姿を表して挨拶を返した。
「残念だね、君とはもっと議論を続けたかったよ。私が幽霊で在る間、話し相手は君しかいなかったし、生前より有効な議論ができた。ほんとうに残念だ。とにかくさようなら、その様子ではもう会えなくなるのだろう?」
 男は短く何かを呟くと幽霊は関心したかのようにうなずきながら消えていった。

 そうして別れを告げ終わると、街の外に出た。なにやら感慨深そうな面もちで街の名を呼んで挨拶をして、涙を流した。
 そして荒野に向き合い、かすれた声で男は最後の別れを告げた。
「さらば地平線!」
 向こうから子供が駆け寄ってきた。子供も男に別れを告げようと思い立ったのだ。男の前に辿り着いたときには、走ってきていたため息が上がってすぐには何も喋れないようだった。
 そのとき子供は蜃気楼のようにかすかな影を残して消え去った。
 それにつられるようにして街灯や肉屋の建物も男の挨拶の順番に消え去り始めた。
 いまはもう幻になってしまった街もなくなった。
 男は小さく呟いた。
「さようなら、私」
 世界は消え去った。