『こころナビ』原作とコミカライズの比較検討

こころナビ』というエロゲがある。Q-Xという二人でやっているメーカーの二作目であり、2003年に発売され、1万本を超えるセールスを記録した。悪評はあるが、それはプレイアビリティについてのものと、担当声優の演技についてのものであった。かわいいキャラクターと適度に物語性のあるシナリオは好評を博したといっていいだろう。
『凛 COCORO NAVI Another View』は、複数シナリオの1ルートである凛子ルートをコミカライズしたものである。2008年から2009年にかけて、「コミックエール」vol. 7からvol.12に連載され、単行本化する際に第七話及び第八話を書き下ろした。著者について私はこれがはじめて購入した本であり、何も知らないに等しい。
凛子は『こころナビ』のヒロインのひとりである。今関凛子といい、本作の語り手である今関勇太郎の実妹にあたる。凛子ルートは本作でもっとも印象的なシナリオであって、テキストによって描かれた以上の魅力あるシナリオである。メインヒロインであるルファナのルートがこころナビの根本に関わる問題を取り扱っているにもかかわらず、ルファナの陰影のないキャラクター造形のせいか、凡作となっているために、凛子はより脚光を浴びることになった。ウェブ上での評判も凛子ルートへの感情の吐露がもっとも多いのは気のせいではない。
以下、ネタバレがある。
原作の凛子ルートは、語り手勇太郎の実妹凛子との恋愛を描いている。こころナビを使い、幾多のヒロインとのコミュニケーションをはかるうち、勇太郎は凛子への恋心に気がつく。しかし凛子は血のつながった妹である。勇太郎は妹との恋愛は許されないと考え、あきらめることにする。そして、ウェブ上で誘われていたラウンダーの蘭煌(ランファン)と肉体関係を持ってしまうが、この身体的接触はあくまでウェブ空間上で行われたものである。その後、勇太郎は蘭煌のマスターが凛子であることを知り、自分が凛子への思いを断ち切れないことを悟って、ついには告白する。
※ラウンダー:ウェブ上における仮想人格のこと。
コミカライズ版では物語の順序がすこし違う。勇太郎は、蘭煌のマスターが凛子であると知りながら、蘭煌と肉体関係を持ってしまう。これはどういうことかというと、コミカライズ版勇太郎は、中のひとが実妹だと知りながらラウンダーとヴァーチャルセックスをしたヘンタイ兄であるということだ。
コミカライズ版のみの読者がもしいれば、蘭煌とのセックスなどというシーンがあったのかと首を捻る方もおられるかもしれない。直接的なシーンはコマの中には描かれていないのだが、蘭煌と勇太郎の邂逅シーンでの最終コマが二人で抱き合っていること、こころナビ使用後の凛子が顔を赤くしてぬいぐるみを抱きしめていること、勇太郎が自分の正体を凛子に明かしたシーンでの凛子の台詞「あのまま関係が続いていたら……」を参照すれば、蘭煌と勇太郎のラウンダーリュウヤとの間にセックスがあったことはほぼ明白である。
凛子の告白のシーンについても、前後関係の説明が必要だろう。なんの予備知識もなく、つまり原作をプレイせずにコミカライズ版を読んでいると、凛子から兄勇太郎へ好きだと告白しているように見えるかもしれない。作者もそのつもりで描いたんじゃないかと思うが、お話の流れを整理すると、凛子からの告白だとは思えなくなってくる。まず、勇太郎が凛子に、自分の正体を告げたわけだが、凛子がこのとき理解したのは、兄と(ヴァーチャルとはいえ)肉体関係を持っているということ、その際、兄は実妹とセックスするのだと気がついていながらことにおよんだこと、兄の思わせぶりな態度からほぼ100%自分に好意を抱いていること、というわけだ。凛子は理解力が優れているという設定があるので、これは一瞬で受け入れざるを得ない現実だと認識したことだろう。凛子へ正体を告げたことは、実質的に告白していることに等しい。つまり、凛子が勇太郎に付き合ってほしいと述べているのは、凛子が告白の主体ではなく、勇太郎の告白への返事でしかないということだ。
原作とコミカライズの相違点で重要なのは、ウェディングドレスの購入者の問題である。原作でウェディングドレスをネットオークションで購入したのは凛子である。これは彼女が、現実の肉体関係では結ばれないにしても、象徴的精神的なレベルでは絆を作っておきたいという願いを持っていたからこその行動である。思慕の表現としてまことに萌えるものがある。ツンデレなのでなおさらである。
一方、コミカライズでウェディングドレスを購入するのは勇太郎である。実妹と知ったうえでのヴァーチャルセックスに興じるような彼の行動であるから、このウェディングドレスが意味するのは二人の関係への祝福というよりは、妹への束縛宣言ととれなくもない。まあ、結婚とはお互いを束縛する契約であるから、原作にもそうした意図はあるのかもしれないが、原作では気にならない。なぜなら、原作は勇太郎の一人称であり、語り手の信頼性が高いので、疑う余地がほとんどないのである。コミカライズのウェディングドレスには、疑念が膨らまざるを得ない要素があるのだ。
こころナビの消失の有無も原作とコミカライズを分ける重要な点である。原作では、現実での肉体関係はもってはいけないものとされており、リアルな感覚をともなったヴァーチャルセックスを可能とさせるこころナビの存在は、二人の関係性を担保するものであった。凛子と勇太郎は、肉体的に結ばれたいという願望を、リアルな体験を伴いながらも、実際には行わずにすんだのである。コミカライズでは、こころナビは突然消え去ってしまう。したがって、二人の関係は今後、現実世界のなかでだけ発展させなければならず、そこには必然的にセックスが行われるものとされてもおかしくない。想像される先にある未来創造図は、原作とコミカライズでかなり違ってくるのだ。
原作がもっていた凛子ルートのすごさは、ツンデレ実妹と結ばれるものの、半歩身を引かなければならない関係性の構築の妙にあった。望むものが手に入っているにもかかわらず、それは手の中にはないのだ。萌えと喜びとすこしのさびしさのハーモニーと言い換えればよいだろうか。凛子は初プレイから8年か9年がすぎたいまでも私のなかではもっとも萌える妹キャラなのである。
コミカライズは、表層的には原作の持つ空気感を表現することに成功していると思うがしかし、物語を仔細に読み込んでいくとまた違った様相を見せる。それは作者の本意ではないのだろうが、描かれたこと、表現されたことは否定できない。ただし、こうしたネガティブがあろうとも、原作の副読本として、凛子のさまざまな表情や仕草がヴィジュアル的に表現されたさまをみるのは喜とすることができる。コミカライズの上記で指摘したような点を見つけ出すことができたのも、ひとつには表現されていることを綿密に検討したからであるし、その原動力となったのは、やはり表現された凛子のかわいらしさなのである。

凛〜COCORO NAVI Another View〜

凛〜COCORO NAVI Another View〜