大正期ダンセイニ紹介、解説

著者である楠山正雄については、青空文庫の解説に詳しい。
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person329.html

リンク先を見るのも面倒だという方のために少々書いておくと、楠山は1884年生まれの1950年没、早稲田を卒業後、出版社で演劇批評をやり、童話の編集と翻訳に大きな業績のあった人物である。今回の復刻の元本である『近代劇十二講』は大正11年(1922)の発行、本文730ページという大著である。これを読み通す気力はないので目次をさっと眺めたところ、近代劇の成立から諸要素、ロシアに北欧にドイツにアイルンド他の代表的戯曲の紹介と、全方位の記述で隙がない。ダンセイニの記述は、「第十二講 新戯曲と民衆劇」の「(一)現代戯曲の傾向――アイルランド劇の新星」にある。
楠山はダンセイニ紹介に大きくページを割いているが、その評価は辛辣なものである。「三つ四つつづけてよむと、勿論現実性を欠いた上に深い哲学の背景もなくて、主題も技巧も大抵同じで退屈になる」というわけだ。ここでいう現実性というのは舞台設定の問題というよりは、おそらく近代劇的な意識のありようであろう。ダンセイニ劇が近代的な問題意識を欠いているのは実際そうだと思う。「深い哲学の背景」にしても、ダンセイニは思想家ではなく根っからの物語作家であり、少々物足りないところがあるのは否定できない。主題の繰り返しも否定できない。楠山は非常に的確な指摘をしている。
肯定的に捉えた部分は、「意識下に潜む人間の我欲と罪に対する恐怖心を鋭利に剔抉(てっけつ)して、明快な具体的表現を与へてゐる点で、またケルト人に特有な童話的空想で、現代生活の中に漂渺(ひょうびょう)たる幻想の世界を作り出してゐる点で、もう一つ、日常語を用ひながら詩的含蓄(がんちく)をもつた対話によつて、目新しい感じがしないでもない」とある。これもそれぞれ特徴をよく捉えている。
ダンセイニ劇の面白さは、それがエンターテイメントであるところに由来すると考える私にとっては、楠山のそれぞれの指摘は、首肯できるものである。逆に、ダンセイニ賞賛の声が大きく広がっていた大正期に流されずによくここまで書けたものだと思う。さすがである。
テキストについてだが、新字旧仮名で入力し、校正はまったくしていない。意味不明なところがあれば、入力ミスだと思われるので、適時ご指摘いただきたい。まさかと思うが、論文の執筆にこれをコピペする馬鹿はいないと信じるが、もしいるのであれば、原文をきちんと確認いただくようお願いしておく。
この記事を復刻したのには、ペガーナロストには載せるまでもないが、かといって無視するにはもったいないと思ったからである。暇があればまた何か入力していきたい。