ラヴクラフトにおけるダンセイニの影響

ダンセイニはその作品よりは、(私のような愛読者からすれば、残念なことだと言わざるをえないが)その影響力によってよく知られている作家である。もっともよく知られているのはラヴクラフトへの影響であろう。

ダンセイニの経歴

ダンセイニをよく知らないラヴクラフト愛読者向けに、ダンセイニの経歴をおさらいしておこう。ダンセイニ卿(一八七八―一九五七)はアイルランドでもっとも古い貴族のひとつであるプランケットの家系に生まれた、正真正銘の貴族である。ダンセイニ卿とはペンネームで、本名はエドワード・ジョン・モートン・ドラックス・プランケット、第一八代ダンセイニ男爵という。アイルランドはミーズ州に領地を持ち、そこにはダンセイニ城がある。親戚には農地改革者のサー・ホラス・プランケット、アイルランド革命イースター蜂起に参加し、大英帝国に銃殺されたジョゼフ・プランケットがいる。名門イートン校、サンドハースト陸軍士官学校を卒業、その後は南アフリカ戦争に士官として出征した。第一次大戦ではフランス戦線で戦い、地獄のような塹壕戦を目の当たりにした。病弱だったラヴクラフトとは異なり、壮健でスポーツを愛し、クリケットや乗馬、狩猟を行った。世界旅行家であり、日本にも立ち寄ったこともあるが、何も書き残していない。ギリシャで英文学の教授をしていたこともある。ダンセイニ卿存命のころは、劇作家として世界中に知られ、世界中でその劇が上演された。ロシア、韓国、東欧、パリ、ニュージーランドなどでも上演はあったが、もっとも人気を博したのはアメリカと日本である。ニューヨークではブロードウェイで五つの舞台が同時に公演をしていたし、日本では一九二〇年代を通してアマチュアや学生も含めて三〇回以上の公演があった。ミステリの分野では英文だけで三七回も雑誌やアンソロジーに収録され、日本でも四回ほどアンソロジーに収録され、魔夜峰央のコミカライズもある古典『二瓶のソース』で有名である。ダンセイニが今日知られているのは、ファンタジーの分野での偉大な先駆者であるという理由からである。創作神話『ペガーナの神々』『時と神々』、初期に書かれた幻想短編集『ウェレランの剣』『夢見る人の物語』『驚異の書』『驚異の物語』『三半球物語』、長編『魔法使いの弟子』『エルフランドの王女』が知られている。これらは日本でも読まれ、特に稲垣足穂の初期作品成立に大きな影響を与えた。

ラヴクラフトの経歴

ラヴクラフトをよく知らないダンセイニ愛読者向けに、軽くラヴクラフトについても触れておくべきだろう。ラヴクラフトは主に一九一〇年代後半から一九三〇年代にかけて同人誌やパルプ雑誌に作品を発表していたホラー作家であり、現在ではクトゥルフ神話創始者として、あるいは特異な怪奇小説を書いた人物として知られている。また、その影響力はダンセイニとは比べられないぐらい世界に広がっている。現代のホラー作家はラヴクラフトを好むと好まざるとを問わず意識しなければならないし、アニメ、コミック、ライトノベルでも頻繁に言及され、ひとつの必須科目のようになっている。

ラヴクラフト、ダンセイニに出会う

ラヴクラフトがダンセイニの作品に出会ったのは一九一九年の秋のことである。『定本ラヴクラフト全集10』の年譜によれば九月とのことだが、原資料が手元にはないので正しいかどうかはよくわからない。どちらにせよ、八月生まれのラヴクラフトなので、二九歳である。ディ・キャンプによれば、ラヴクラフトが最初に読んだダンセイニ作品は『時と神々』であるとのことだが、これは何かの勘違いであろう。一九二九年四月一四日、クラーク・アシュトン・スミス宛書簡によれば、「海を臨むポルターニーズ」であると本人が述べている。邂逅から一〇年後の書簡であるが、熱狂的なダンセイニ狂であるラヴクラフトが最初に読んだ作品を忘れるはずがない。
このとき、ラヴクラフトが読んだ本は「ポルターニーズ」を巻頭に持つ短編集『夢見る人の物語』である。「海を臨むポルターニーズ」とはどんな作品なのか。読んでいただくのが一番だが、とりあえず簡単に概要を説明しておく。海を知らない内陸に小さな三つの国があった。その西側にポルターニーズと呼ばれる山があり、その峰を越えると海にたどり着くのだという。内陸の国々から旅立ち、峰を越えていったものは、誰も戻ってくることがない。そこで三人の国王は話し合って、ポルターニーズを越えて海を見て、そして戻ってくるものがいれば、美しい王女を娶らせることにした。そこへ勇敢な狩人が現れ、その冒険を行うこととなった。はたして狩人はポルターニーズを越えていったが……。
後に、ル=グィンも偶然だろうがこの作品によってダンセイニに出会い、想像力を刺激されることになる。「ポルターニーズ」は、綺羅星のごとく大傑作のそろっているダンセイニ初期短編の中では昔からあまり言及されることはないものの(荒俣宏という例外はある)、短編という枠の中で高度に凝縮された別世界の神話を語っており、ファンタジイの傑作として申し分のないものであるといえる。
はたしてダンセイニ作品に出会ったラヴクラフトはどのような印象を持ったのだろうか。一九二九年のクラーク・アシュトン・スミス宛書簡によれば、「……最初のパラグラフで私は電撃をくらったようになり、二頁も読み進まないうちに終生のダンセイニのファンになりました」とある。
事実、ラヴクラフトは一九一九年一〇月、ボストンのホテルで開催されたダンセイニの講演会に出向き、最前列真正面でかぶりついてこれを聞いている。このときの様子を「ダンセイニ卿とその業績」という興味深いエッセイに書き残している。ダンセイニが講演を終えてタクシーに乗り込もうとして、入り口に帽子をひっかけて落としてしまったエピソードをこの上なく嬉しそうに書いているのを見ると、いかにも無邪気にダンセイニに憧れていることが伝わってくるのだ。

ダンセイニ風掌編

ダンセイニ作品に衝撃を受けたラヴクラフトは、すぐさまダンセイニの作風そのままの幻想短編を書くようになった。それはひとまとめに<ダンセイニ風掌編>と呼ばれることが多いので、本稿でもこれを採用する。
一九一八年執筆の「北極星」は、ダンセイニ風掌編とされている作品だが、執筆年代をみればわかる通り、ラヴクラフトによるダンセイニ経験以前に執筆されたものであり、厳密にはダンセイニ風掌編とはいえない。内容はダンセイニの都市テーマ作品に似通ったところもある。
「白い帆船」にはダンセイニの「ヤン河の舟唄」、「セレファイス」には「トーマス・シャップ氏の戴冠式」の影響があるとこれまで識者に指摘されてきた。これに追加して、私のダンセイニ研究家としての立場から具体的に作品名を出しておくと、「蕃神」には『ペガーナの神々』、「サルナスの滅亡」には「バブルクンドの崩壊」、「イラノンの探求」には「カルカソンヌ」、「恐ろしい老人」には「三人の文士に降りかかった有り得べき冒険」、「木」には「南風」の影響を指摘することができる。
他には具体的なダンセイニの作品名を示すことはできないが、ダンセイニ風掌編とされている作品では「ウルタールの猫」「ランドルフ・カーターの陳述」「銀の鍵」「未知なるカダスを夢に求めて」などがある。
ダンセイニ風掌編の執筆時期としては、一九一九年から一九二一年にかけてにその多くが執筆された。例外としては、一九二六年から一九二七年にかけての執筆になる「未知なるカダスを夢に求めて」、一九二六年の「銀の鍵」がある。
こういった作品の特徴としては、ダンセイニ的なあらすじ、ダンセイニ的な材料を用いながらも、根底にはラヴクラフトが終生拘った「恐怖」をテーマとして執筆されているということがいえる。形式を変えても現れる強烈な作家性は見事というほかない。

その他のラヴクラフト作品内に表れたダンセイニの影響

ダンセイニの確認できる直接的影響として従来指摘されてきたのは、ラヴクラフトが生み出した怪物や神々の名前の一部が、ダンセイニ風であることだろう。例としては<ニャルラトテップ>には<アルヒレト=ホテップ>が対応している。
ラヴクラフトは<ダンセイニ風掌編>以外にも自分の作品にダンセイニを取り込んでいる。「月の湿原」はアイルランドを舞台にした短編なのだが、南西部先端のキルデリーに警官を呼び寄せるのに、なぜか東部のミーズ州から来させている。アイルランドの地理関係からいえば、南部最大の都市コークから呼ぶのが普通だろう。無理やり東部から呼び寄せるにしても、首都ダブリンを選択するはずである。ダブリンからキルデリーまで現代でも車をめいいっぱい飛ばしても四時間以上かかるだろう。一九二〇年代ならなおさら時間が必要だろう。これは、ミーズ州にダンセイニ城があるからなのだ。ラヴクラフトはダンセイニ愛好者がニヤリとするだろうと思ってこうしたに違いない。
 また、「狂気の山脈にて」はタイトルの地名「狂気の山脈」をダンセイニ作品から引いている。「ハシュシュの男」がそれである。私は自分でこれに気がついたのだが、コミカライズ版『狂気の山脈』で解説の森瀬氏に先に指摘されてしまったのが悔しい、と正直に書いておく。

関連作品の読書案内

ラヴクラフトへ影響を与えたダンセイニの作品はすべて文庫で読むことができる。河出文庫『世界の涯の物語』『夢見る人の物語』『時と神々の物語』の三冊でとりあえずすべて揃ってしまうが、ついでに『最後の夢の物語』も購入していただければと思う。
ダンセイニから影響を受けて執筆されたラヴクラフト作品については、創元推理文庫ラヴクラフト全集6』『ラヴクラフト全集7』の二冊で事足りる。が、ラヴクラフト自身に興味を持って読むのであれば、全集一巻からの方が無難であると思う。

研究、というか宣伝

私は「片影」という同人誌を編集していて、そこに「ラヴクラフトにおけるダンセイニ受容」という記事を連載している。ただし、こちらは分析メインなので、ラヴクラフトの書簡資料などを期待すると肩透かしを食らうかもしれない。第一回は「北極星」、第二回は「白い帆船」、第三回は「サルナスの滅亡」を取り上げている。古書肆マルドロールさんにて購入できるので、気になる方は購入していただきたい。http://www.aisasystem.co.jp/~maldoror/
現在、第四号を鋭意制作中。今回は「ウルタールの猫」を取り上げる予定。

テキストの来歴

この記事は「PEGANA LOST freepaper edition vol.1.0」(2011年6月12日発行。文学フリマ等にて配布)に発表した記事をもとに再構成したものである。