稲垣足穂のイベントに行ってきた。

稲垣足穂のイベントがあると聞き、2011年7月10日に奈良の喜多ギャラリーまで足を伸ばした。以下のテキストはその記録である。


次のURLにイベントの詳細があるが、URLひとつクリックするのも面倒という方のために、テキストをコピペしておく。

http://d.hatena.ne.jp/tobiranorabbit/20110625/1309028906

Linx@Taroupho
稲垣足穂展―資料とイメージのフラグメント
by 古多仁昴志

前期:2011.6.26 (日)〜7.31(日)
12:00〜17:00 (月曜日,火曜日休廊)
タルホを蒐(あつ)める人、古多仁昴志氏のコレクション
+リンク・ワークス―150点以上のタルホ本、原稿、短冊、初版本、
パテェカメラ、etc…….
特別出品―遺愛の鼻眼鏡・イソギンチャクの印章・色鉛筆など6点
協力; 稲垣 都・ドノゴトンカ(扉野良人羽良多平吉高橋信行木村カナ郡淳一郎)
@ 喜多ギャラリー kita-gallery
〒639-1035奈良県大和郡山市額田部南町413
TEL 0743-56-0327 -- FAX 0743-56-0175
mail: kita-gallery☆kcn.jp (☆を@に変換)
近鉄平端駅から徒歩18分
JR大和小泉駅からタクシー8分

交通
私の最寄り駅はJR放出駅である。ここから行くとなると、三回の乗り換えが必要である。片道890円なり。下車したのは近鉄平端駅で、とても小さな駅だ。案内には徒歩18分とあるが、直射日光がまぶしく、暑いのが苦手なため、駅前に止まっていたタクシーを捕まえた。あとで聞いたことなのだが、平端駅にはあまりタクシーが止まっていないということである。私は幸運だったようである。料金はワンメーターですんだ。念のため、googleマップをプリントしておいたのだが、「喜多ギャラリー」と運転手に告げると、彼は場所を知っていたので、結果的にプリントしていった地図や案内は役立たずになった。
帰りはJR大和小泉から電車に乗ったのだが、こちらの方が圧倒的に駅が大きく、乗車場もあるので、タクシーに乗るのであればこちらからの方がいいかもしれない。運転手が場所を知らなかった場合に備えて、住所と電話番号ぐらいは控えていくのがベターか。

喜多ギャラリーの印象
都会にあるような、けばけばしい看板を期待していくと肩透かしを喰らうだろう。落ち着いた小さな看板が入り口にあるだけで、通りがかっただけなら何も気がつかずに通り過ぎてしまいそうだ。入り口は中庭に入っていくと見つかる。雰囲気がよいので、写真を撮っておくべきだったと悔やんでいる。
後で聞いたのだが、築80年にもなろうかという蔵を改造して使っているのだとか。行くことがあれば、二階の屋根を支える梁に注目してもらいたい。くの字型に曲がった木材を屋根の形に合わせて使っていて、立派で丈夫そうな梁なのだ。

展示物の来歴
足穂コレクター古多仁さんのコレクションである。私は面識はないが、スタッフの方の話を聞けば、足穂コレクター暦35年というから、私のダンセイニコレクター暦15年もあまり自慢にならない。また、別の有名な足穂コレクターの方(名前は聞いたが失念した)もカバー付きの初版本を展示に提供しているとのことである。
古多仁さんの逸話はイベント案内の画像に詳しい。まだ大学生だった古多仁さんは神保の古本屋で足穂直筆のイラストを見て心奪われ、熱心に通い、ついには店員の目を盗んでイラストを模写したというのだ。この憑かれっぷりのすさまじさが彼をコレクターとして信頼せざるをえないと思わず納得してしまう。
なお、画像のテキストは読みにくいので、会場にいけばもらえるかもしれないポストカードを直接見るのがいいと思う。画像は次のURLにて。
http://f.hatena.ne.jp/tobiranorabbit/20110626042108

展示物
私は稲垣足穂についてはよい読者とは言えない。というのも、ダンセイニの影響を受けた作家として、直接的影響の見られる作品しか読んでいないからだ。具体的には、「黄漠奇聞」と「一千一秒物語」と、それから足穂が訳したダンセイニ二編ぐらいのものである。そういうわけなので、展示物の価値をまっとうに知っているとはいえないので、説明に不備があれば、読者諸氏に補ってもらいたい。
足穂の直接的なアイテムとしては、やはり眼鏡だろうか。特別出品とのことで、遺族から借りてきたのだろうか。タルホファンには有名なのだろうが、判子の実物もある。ぜひレプリカがほしいと思った。石膏で型を取らせてくれないだろうか。……いやいや、冗談です。
書籍は、初版本から最新の全集までずらりと並んでいた。これをみてバブル時代の古本屋が電話で注文を受けた逸話を思い出した。それは「経済書を5メートル」(うろ覚えなので、本当に5メートルだったかどうかは不明。)というものだった。意味がよく判らないと店主が聞き返したところ、本棚を買ったので、それを埋めるのに5メートルの量の本が必要だったという、そんなおはなし。タルホが5メートル! なんだか意味不明に聞こえるかもしれないが、実物をみれば判る。タルホが5メートル。実際、測ってみればその半分もないかもしれないがしかし印象としては5メートルだ。
書籍で印象的だったのが石野重道『彩色ある夢』の初版本だろう。私はペガーナロスト11号でこれの一部を復刻しているのだが、初版本はもとより300部限定で遺族が出版した復刻版すら実物を見たこともなかったので、昔なじみの友人に久しぶりにであったような気持ちになった。話をきけば、この本はタルホが装丁デザインをしているということと、石野重道がタルホの友人であるということで展示されていたようだ。(タルホと石野の関係については、ペガーナロスト11号にりきさんが書いた記事に詳しい)そして、なんとフランス装のこの本の後半は、アンカットなのである。ページが切れていないのである。私はこういうのに弱いのだ。すばらしい。
作家展の目玉といえば、私物に並んで必要なのは原稿だと思う。もちろんこのLinx@Tarouphoにもあった。箱に入っているので、表紙だけしか見えないのが残念である。推敲の際に消した文章も含めて、この原稿を復刻してくれたらなあと思う。
本と呼べるのか、むしろオブジェと呼ぶべきではないかと思うのが、銅でできた本である。もちろんテキストはタルホだ。蝶番によって閉じたり開いたりはできる。
二階の展示室は――エアコンが行き届かなくて暑いのだが――コレクターが描いたタルホをイメージしたイラストやオブジェが飾られている。タルホの愛読者であれば具体的な作品名を思いつくかもしれないのだが、私にはよくわからなかった。印象に残っているのは夜空に歯車でできた星が描かれている都市の光景のオブジェだろうか。

展示物でタルホとダンセイニとのつながりを感じさせるもの
小冊子で、なにか豪華本の月報だと思われるものの表紙にタルホが文言を書き込んだ色紙の写真があって、編集者はその文言が洒落ていていかにもタルホさんらしいと述べているのだが、タルホが書いたのは明示されていないだけで、ダンセイニの戯曲『名声と詩人』の冒頭にある台詞そのままなのだ。それは、ちょっとメモを取らなかったのでうろ覚えになるが、世界の果てまでネクタイを取り替えに行って来た、というものである。タルホは自作とダンセイニ作品の区別をしようという気がなかったのだろう。
この戯曲については、私の翻訳したテキストがこのブログの過去ログにある。戯曲はこちらhttp://d.hatena.ne.jp/pegana/20090919/1253363479 訳者解説はこちらhttp://d.hatena.ne.jp/pegana/20090919/1253365124
※上の一文を書いてから念のためと思って筑摩書房の全集1巻を調べてみると、「英吉利文学に就いて」でこの台詞の紹介をダンセイニのものとして行っていた。
他、タルホがつけたであろう英文タイトルがダンセイニ作品によくにているように思った。初版本表紙にChronicleなんとかとか、短編タイトルにA Night at an Barとか。Cronicleは、ダンセイニのCronicle of Rodriguesからだろうし、A Night at an BarはダンセイニのA Night at Innからだろう。筑摩書房版タルホ全集ではこうした英文タイトルは無視されているのか、少なくとも一巻にはなにもない。
タイトル関係でこれまでに知られているのは、タルホの初期短編集『第三半球物語』だろう。これもダンセイニの初期短編集Tales of Three Hemisphereをとったものだ。タルホの初版本が展示してあった。
いずれ、私自身でタルホとダンセイニの比較記事をどこかで書くことになるだろうと思う。

展示を見てから
展示を一通り見てから、関係者の方にお茶に誘われ、いただくことになった。私はペガーナロストを持ってきていたので、それを渡した。お客さんは私のほかに、天理から来たという年上らしきカップルが来ているだけだった。私がダンセイニの話をしたり、天理市の最近の状況を聞いたりして、落ち着いた雰囲気になっていた。この時点で午後四時ぐらい。
しばらくして、M氏と名乗る関係者がやってきて(ウェブなので実名を出さないでおく)、そこからなんだか話はやけに盛り上がり、カップルはそこここに退出したのであるが、私とM氏は二人でタルホとダンセイニと北アイルランド紛争と70年代の話で盛り上がり、お茶やらジュースやらおにぎりなどをいただきながら、閉館時間を過ぎて、結局、午後9時まで話し込むこととなった。私はそこで図録みたいなものは作らないのですかと尋ねてみたところ、図録ではないが何かの形にしたい、とおっしゃっておられた。また、今後の計画についてもお聞きしたのであるが、これは公式発表をお待ちいただきたく思う。
M氏には帰りは車でJR大和小泉駅まで送っていただき、非常に助かった。ここで改めて御礼をいいたい。
そして、閉館後4時間も居座ってしまったことをギャラリーの方にお詫びしたいと思う。