巴マミは弱くない。

※このエントリはまどかマギカのネタバレがあります。未視聴の方は気をつけてください。


マミはなぜ心が弱いとされたのかというと、原因は第10話にあります。さやかが魔女になって、それを目の当たりにして狂乱状態になったマミは、杏子を殺害、その後さらにほむらを殺そうとします。「魔法少女が魔女を産むなら、死ぬしかないじゃない!」と言い出す始末。このエピソードから、追い詰められるとすぐに狂乱してしまうというイメージが生まれました。マミさんの心は弱い説の誕生です。
しかしながら私はマミの心が弱いとは思えません。理由はいくつかあります。
自分の想い人を救おうと先走るさやかに嫌われる覚悟で大人の忠告をしていること。(「あなたは彼を救いたいの? それとも彼を救った恩人になりたいの?」)相手が後輩とはいえ、なかなかいえる台詞ではありません。自らの成すべきことをよく判っていて、なおかつそれを実行するための意志力がマミにはあります。
また、孤独な自分を慰めてくれることになるはずのまどかに対して魔法少女になってほしいと頼むことに公平な態度で臨んでいます。いきなり魔法少女になるように誘うのではなく、まず見学という形で情報を与えようとしています。孤独が続いていたマミにとって、突然表れたまどかの存在はひとつの救いに映ったはずですが、飛びつくようなことはしていません。衝動を自制するだけの強さがあったといえます。
第10話におけるマミの恐慌状態は、アイデンティティの根拠が完全にひっくり返されたことから起こったものと考えられます。これは誰であっても恐慌状態になってもおかしくないわけで、あのエピソードだけでマミの心が弱いことにはなりません。成人しているわけでもない中学三年生という年齢では余計にそういえるでしょう。(彼女が成人していれば、また別の解釈もありえなくもないですが)
マミはQBやまどかの解釈でベテランの魔法少女と規定されています。これは作中で否定されていない設定なので、そのまま利用してもかまわないでしょう。マミは、魔法少女としては「例外的な」ことに、社会的に善を施そうとしています。見返りのない使い魔に対しても容赦しない態度がそれです。魔法少女として損得を考えるのであれば、使い魔は魔力を消費するだけで、何の意味もありません。それを倒しておこうとするのは、使い魔がひとを殺すなど、社会に悪をなすものだという認識がマミにあり、自らが善を成すものとして、いまここに在るという認識があるのだと考えられます。彼女は、自らの存在意義を、社会に善を成す魔法少女として規定しているのです。
マミはベテランなので、自己規定が自我により深く食い込んでいたものと思われます。職業人が仕事を長く続けると、その仕事に合った性格になるのと同じ状態なわけです。会計の仕事をしていれば、数字に細かくなるでしょう。年齢が若ければ余計に職業的精神を身につけるのが早くなります。柔軟な精神ほど型にはめやすいのです。マミの両親が亡くなっていることもここでは意味があります。頼るべきものがないマミは急速に自己イメージを規定しなければならなくなったのです。
そこに、第10話です。正義だったはずの魔法少女はいずれ魔女となり、社会に悪をなそうとします。マミは自我に深く突き刺さった、「善を成す魔法少女」という基礎をひっくり返されたのです。誰であってもこういう状態で狂乱、あるいは恐慌に陥らないとは思えません。
ある意味、マミはこの状況に対して運が悪かったといえるでしょう。社会に善をなそうとする正義感をたまたま持ち合わせ、それを実行し続けるための意志力があり。また実力も伴っていました。マンションに一人暮らししていることから、これは作中で何も示されてはいませんが、おそらくは両親の生命保険によって金銭的な苦労から開放されているとも推測できます。魔法少女としての自分が成立する要素がたくさんあります。長年続けてきた正しいと思われた行い、これを完全に否定されたマミの衝撃は、想像するに、あまりに衝撃的です。マミにとっては、人間にとってのクトゥルフの実在より衝撃的だったことでしょう。
マミの恐慌に対する説明には、ニコニコ大百科で「命の恩人であり、友人と信じていたキュゥべえに裏切られた悲しみもあったという解釈」も提示されていますが、これはアイデンティティの危機説に含まれるものです。歳若い少女にとって友人とは自らの存在証明のひとつであるからです。
第10話のあの場面に登場していた他の魔法少女についてはどうでしょうか。彼女たちは魔法少女的な自我を身に着けてはいなかったのでしょうか。
杏子に関しては、マミと同じくベテランと呼ばれるぐらい長く魔法少女を続けてきました。ある意味、マミと同じく恐慌状態になってもおかしくありません。しかし、杏子のアイデンティティは善を成す魔法少女ではありません。杏子にとっての魔法少女は、変身できるようになった当初こそ善と成すものとしてありましたが、第10話エピソードの時点ではそれはほぼ消失しています。彼女は、自らを「自業自得」の結果であり、その教訓からエゴイズムを元に自我を成り立たせるべきだと考えています。杏子にとって魔法少女とは、いまや生きるための手段でしかありません。そこに職業的意識は働くにしても、善や悪といった観念に囚われたりはしないのです。
まどかについてはどうでしょうか。彼女もマミと同じく善をなす魔法少女として自己規定しようとしていました。誰かの役に立つ存在でありたいという願いです。しかし、その自己規定からはまだ日が浅く、精神の表層的なところではともかく、思考が身体的なレベルにまで達していたとは思えません。まどはは魔法少女として自己規定が完了するほどまでには時間がたっていなかったのです。だから、「善をなす魔法少女」という前提が崩れ去ってしまっても、あの状況の、あのメンバーのなかではまだ比較的冷静に行動できたのです。
ほむらについては、目的がまどかの救済なのだから、魔法少女が善だろうと悪だろうとかまわないのです。
マミの精神が強かったといえるのは、ブルーレイで修正された彼女の部屋からもいえることです。おしゃれでかわいい、しかし落ち着いたデザインとレイアウトの部屋というのは、それが与える印象よりも、作り出すのが難しいし、それを維持するのはもっと大変なことなのです。おしゃれでかわいい部屋というのは、並大抵のことでは造れません。デザインを検討するまではともかく、それを実際の部屋に再現するには、最初に決めたコンセプトを貫徹させなければなりません。かわいいものをなんとなく集めただけでは、おしゃれでかわいい部屋にはなりえません。マミは、その難しいことを確立し、存続させています。これは、驚嘆すべき意志力といえるでしょう。
話をまとめましょう。つまり、マミは意志力の強い少女であり、またアイデンティティとして善をなす魔法少女でした。しかし、魔法少女の存在基盤が実際には悪につながるものであったと知ったので恐慌状態に陥った、ということです。
世間に流布している「豆腐メンタル」なイメージは、ただの二次創作のネタとしてはともかく、巴マミのキャラクター解釈としてはけっしてスタンダードではありえません。と、まあ、それが言いたかったというワケです。
最後に、読者のみなさまに誤解されないように言っておきますが、長々とマミについて書いてきたので勘違いされる方もいたかもしれませんが、私は、マミ派ではなく、まどXほむ派です。まどか攻めのほむら受けが最上のものだと思っています。

(このエントリはツイッターで連投したものに訂正加筆を行ったものです)