森きくお展に行ってきた。

奈良の喜多ギャラリーで行われている「森きくお展」に行ってきた。

「森きくお展/祈り」
喜多ギャラリー
2012年3月11日-4月8日

初日は詩の朗読と音楽を何かやるとのことで、たまには生音を聞いておこうと思い出立した。
朗読は詩人の鳥越ゆり子さん。不勉強で申し訳ないが私は存じ上げない方で、どうやら『音素砂丘』という詩集を出していらっしゃるようだ。イベントは午後三時にはじまるのだが、私は遅刻してしまい、三十分ぐらい遅れて会場の喜多ギャラリーに到着した。駅からの道行きでは通り雨に降られて大変だった。扉を開けると、すでに朗読が始まっており、イベントの開始が遅れてはいないかとの無駄な期待は意味がないことがその瞬間にはっきりした。印象に残った詩は、忘れっぽくて申し訳ないが作者の名を聞いたが失念してしまったのだが、種を蒔けと呼びかけるものである。種まきといえばミレーだが、相通じるものが多少なりともないとはいえない。収穫のことは考えるな、ただ種を蒔け。そのように宗教的ともいえる情熱で呼びかけるのである。種とは人間の愛を示すものと思われる。原始共産主義では持つ者は分け与えればよいわけだが、ここでは持たないものも分け与えなければならない。大地と天の前に身体を投げ出し、存在を<世界>に対してさらけ出す。それが種を蒔くということだろう。
音楽は、ウード奏者の常味裕司さんと、オーボエ奏者のtomocaさんによるもので、アラブ世界の音楽を奏でてくれた。ウードなる楽器は初めてみたのだが、アラブの弦楽器で、リュートなどの元になったものだという。ノリの良い、サービス精神豊富な曲が多く、純粋にアコースティックな音であるはずなのに、私などはメタルロックを思い起こした。会場は大いに盛り上がり、すばらしい演奏であった。常味さんはマグレブ諸国の話を演奏の合間に挟んできたので、ベルベル人西サハラについて何か聞きたかったのだが、残念ながら機会がなかった。tomocaさんにはオーボエの話など聞きたいと思っていたが、これまた機会がなかった。失礼ながらオーボエのことをまったく知らないので、いい機会とばかりにどんなものか聞いておきたかったのだが。
森きくおさんも当然会場にいらっしゃっており、朗読と演奏が終わってからのパーティで少しお話することができた。森さんの絵は、バリ在住であるので、バリのものをモチーフにしている。蓮の花、バリの聖なる山、バリの踊り子。そして、頻出する三角形。私の質問に対して森さんは下方三角形と上方三角形を組み合わせたダビデの星について言及されていたが、ご本人の回答に対してまことに失礼な感想で申し訳ないが、私には絵からそうした砂漠の宗教の匂いは感じ取れなかった。バリの聖なる山の上方三角形、また植物の葉の下方三角形、蓮の花の三角形を見るに、大自然の形象化として用いられているように感じた。バリの風景や文物を描きながらも、意識の風景の射程としては、地球上すべてを描こうとしているのではないか。とすると、森作品に頻出する緑は生物を意味し、白は無生物を意味すると思われる。しかし、私がもっともすごい思った絵画は、ギャラリー二階の階段上がって正面に飾られている大きな絵、藍色で日入り後の蓮の風景を描いたものであった。太陽が沈み、色彩を失った風景。影となる蓮の花と葉。色彩豊かなバリの昼間からみれば、死の風景といっても過言ではない。だが、私がそれを懐かしく感じたことも確かである。黄昏とは、境界であり、異界への入口でもある。バリの藍色の中に日本の黄昏に通じた秘密の入口を見たように思った。
「森きくお展/祈り」は奈良の喜多ギャラリーにて4月8日まで開催中。